1. はじめに
沖縄を旅するとき、那覇の「国際通り」を歩いたことがある方は多いのではないでしょうか。観光客でにぎわい、土産店や飲食店が立ち並ぶこの通りは、今や那覇の象徴的な存在です。
しかし、このにぎやかな風景の背景にどんな歴史があるのかをご存じの方は、それほど多くないかもしれません。
国際通りは、沖縄の戦後復興を象徴する通りです。今回はその成り立ちとともに、名前の由来にもなった「アーニー・パイル国際劇場」にも注目しながら、この1マイルに込められた記憶をたどってみたいと思います。
2. 国際通りのはじまり

那覇市の中心部を貫く「国際通り」は、全長約1.6kmの通りです。戦後、焼け野原となった那覇の瓦礫の中から、わずか数年でこの通りが形づくられました。その復興のスピードと熱気から、“奇跡の1マイル”と呼ばれるようになったのです。
ここで一つ、ちょっとしたミニ知識を。
「国際通り」は、「こくさい“どおり”」ではなく「こくさい“とおり”」と読むのが正式です。地元の方や通の観光客は自然に「とおり」と発音しています。私自身、初めてその読み方を知ったとき、「へ〜そうなんだ」とちょっと感動したのを覚えています。なんとなく、やわらかく親しみやすい響きがして、この通りの空気感にも合っている気がします。
なお、私は国際通りの雰囲気が大好きで毎年何回かはこの付近に宿泊しています。南国のちょっと浮かれた夜を過ごすにはうってつけの街です。
3. アーニー・パイル国際劇場とは?
「アーニー・パイル国際劇場」は、戦後間もない頃に国際通り沿いに建てられた映画館です。その名前は、アメリカの従軍記者であるアーニー・パイル氏に由来しています。
アーニー・パイル氏は、第二次世界大戦中に最前線で兵士たちとともに戦場を歩き、その目線から戦争の現実を伝えた著名なジャーナリストです。彼の書いた記事は多くの米国民に読まれ、ピュリッツァー賞も受賞しました。
そして1945年、沖縄戦のさなかに伊江島で戦死します。その死を悼んで名づけられたのが、この映画館です。
劇場は鉄筋コンクリート造りで、当時としては非常に立派な建物でした。洋画を上映する本格的な施設として、多くの人々に親しまれ、米兵や地元住民の社交の場にもなっていました。
この劇場の存在が通りの名称に影響を与え、「アーニー・パイル国際劇場のある通り」→「国際通り」と呼ばれるようになったのです。
4. 現在の劇場跡地について
かつて国際通りの象徴だったアーニー・パイル国際劇場は、すでに現存していません。時代の流れとともに閉館し、建物も取り壊されました。
現在はその正確な跡地を示す碑や建物は残っておらず、記憶の中にだけ存在しています。
劇場の跡地は、現在の沖縄三越跡地付近(那覇OPA周辺)だったとされる説が有力ですが、はっきりと特定することは難しい状態です。
国際通りに劇場の痕跡が見えなくなった今も、「国際通り」という名前だけが、その存在を静かに伝え続けています。
5. 通りの変遷と観光地化
1950〜60年代、国際通りにはアメリカ文化を色濃く映した商店やバーが並び、異国情緒漂うエリアとしてにぎわいました。
1972年の本土復帰により日本の法制度が導入され、徐々に“内地化”が進んでいきます。バブル期には観光バスがひっきりなしに乗りつけ、修学旅行生や観光客で大いににぎわいました。
2000年代以降は、再開発やモノレール「ゆいレール」の開通などにより、利便性が増す一方で、地元住民の足は少しずつ遠のいていきます。
6. 国際通りの今とこれから
現在の国際通りには、観光客向けの店舗が多く立ち並んでいますが、空き店舗の増加も目立つようになってきました。特にコロナ禍では大きな打撃を受け、通りの再生が課題となっています。
2025年現在は、だいぶ元の状態に戻ってきたように感じます。インバウンドの影響もあり、奇跡の1マイルの名に恥じない復活ぶりです。
もともと国際通りは、観光地であると同時に、地元の生活や文化と密接に関わる場所でした。その役割が問われる中で、今後どのような方向へ進んでいくのかが注目されています。
観光地としてだけではなく、「沖縄の記憶を伝える場所」として、次の世代にも受け継がれていくような通りになることが期待されます。
7. 旅人としての視点
私が初めて国際通りを歩いたときは、沖縄について何も知らなかった頃でした。ただ、にぎやかで明るい雰囲気に心が躍ったことを覚えています。
しかし、何度も沖縄を訪れるうちに、その明るさの裏側にある歴史や背景にも関心を持つようになりました。アーニー・パイルの存在や、通りの成り立ちを知ったことで、「この通りをただ歩くだけではもったいない」と感じるようになったのです。
表面的なにぎやかさの奥にある、時間と人々の記憶。それを感じながら歩く国際通りは、まったく違った風景に見えてきます。
8. おわりに
国際通りは、沖縄戦後の瓦礫の中から生まれた“奇跡の1マイル”です。そこには、ただの商店街以上の意味があります。
アーニー・パイルという一人の記者の名が刻まれた劇場があったことも含めて、国際通りには「記録されなかった歴史」が息づいています。
そして、その名前の響きにもまた、地元の人々の暮らしや文化がにじんでいます。
「とおり」と読むその言葉のやわらかさも含めて、この道には今も多くの記憶が流れているのだと思います。
次にこの通りを歩くときは、ぜひその背景にも思いを馳せてみてください。きっと今までとは違う「沖縄」が見えてくるはずです。